想ふに五拾年の歳月は決つして短いものではなく、 移転当時の鼻垂小供も今はの老人になつて居る、 此の間多種多様の事があり実に感慨無量である、 即ち数度の水害、火災、殊に彼の大正十二年の大震火災には二度と立てない迄に打撃を受けた、されとも組合員の不抜なる復興心に依つて、震災以前より以上のものか復活し、此れを見るにつけても我が組合員が如何に協同一致の精神に富むかを物語をものである、私共の営業は、地球上に動物の生樓して居る以上は永久不滅のものにして此れは従来の歴史に徴しても明かである、三百年の昔徳川家康が江戸城の主として乗り込んで来たとき、此れに附て来たものは千軍万馬を往来した戦場生き残りの荒れくれの三河武士であつた、当時江戸は荒漠たる原野で此の気の荒い武士の心を和けた者は何と曰ふても女でなくてはならなかつた。
殊に生存競争が烈しくればなる程晩婚者も多くなる事は理の当然にして私共の営業が益々此の世に必要になつて来る、若し此れを半面から自巳主義に観察すれば或は一種の社会政策の一つとも曰ふ事が出来ると思ふ。
本書を編纂するに際して材料に乏しいと云ふよりも、むしろ頭が乏しいのでも遺漏誤字等多く甚た粗略なものを纒めたる事は私の浅学に免じ御用捨を乞ふ。
編者